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5月の亀戸撮影会を開催

(亀戸天神社 参拝のための行列)
(亀戸天神社 参拝のための行列)

 

5月5日のこどもの日に、亀戸コースの撮影会が開催されました。

 

今回は、歌川広重の名所江戸百景から「亀戸天神境内」、「柳しま」、「亀戸梅屋鋪」と「吾嬬の森連理の梓」の4カ所を訪ねます。

 

集合は、最初の絵「亀戸天神境内」です。

鷹野先生の説明を聞いたあと、しばらく自由撮影を楽しみました。

 

今年の藤は開花が早く、既に散っていました。それでも、ゴールデンウィーク後半で日曜日と重なり、境内は多くの外国人と観光客などで賑わっていました。

 

そんな様子や、新緑で囲まれた境内の景色をどのようにして撮るかと悪戦苦闘しました。

しばらくして、最初の集合場所に集まり、次の場所に向かいました。

(橋の上で鷹野先生が説明)
(橋の上で鷹野先生が説明)

横十間川の栗原橋で、鷹野先生から2枚目「柳しま」の説明がありました。

 

広重の絵では、柳島橋の左側に妙見堂が赤い塀に囲んで描かれています。

横十間川、柳島橋、妙見堂の場所は変わりませんが、妙見堂は建て替わり、橋のたもとの料亭はなく、また周囲はタワーマンションなどが建ち景色は大きく変わっていました。

 

説明を聞き終え、「名所江戸図絵」に描かれた萩寺で有名な龍眼寺に立ち寄り、妙見堂のある法性寺に向かいました。

 

法性寺は、葛飾北斎が信仰していたので、「葛飾北斎 篤信のお寺」と書かれた看板が立っていました。

境内には、初代歌川豊国の筆塚や近松門左衛門の供養碑など多数の碑がありました。一番驚いたのは、侠客上萬碑を見たときでした。 

 

(吾嬬神社)
(吾嬬神社)

続いて、北十間沿いに歩を進め、「亀戸梅屋鋪」に向かいました。

現在は住宅地で、その一角に臥龍梅跡碑と梅屋敷跡の案内板があるだけです。その前で、先生の説明を聞いて移動しました。

 

次に向かったのは、北十間川沿いにある吾嬬神社です。

4枚目の絵「吾嬬の森連理の梓」が描かれた場所で、江戸時代は神社のことを「連理の森」、境内の神木を「連理の梓」と呼んだそうです。

 

先生の説明によると、「樟」を書き損じて「梓」になったそうです。 

住宅地に囲まれた境内は狭く、絵のイメージとはかなり違っていました。

次に、香取神社に向かいました。

 

香取神社では、毎年55日に勝矢祭が行われています。

昔、藤原秀郷が平将門討伐後、香取神社で「勝矢」と名付けた矢を奉納したことから勝矢祭が始まったといわれています。 

(勝矢祭の武者行列)
(勝矢祭の武者行列)

 

この日は香取神社の兼務社・亀出神社を出発した武者行列が15時頃到着するので、それに合わせて我々一行も香取神社に入りました。

ほどなく、行列が境内に到着すると両脇に大勢の人が取り囲みました。

 

 三人のミス勝矢祭に先導された甲冑を身にまとった武士たち、陣羽織、裃姿の氏子たちが続いて、さらになぎなた姿の女子高校生などが続いて来ました。

社殿前で、「エイ、エイ、オー」の勝鬨を上げ、奉納の儀式が始まりました。

境内には、外国人の観光客もたくさんいました。

 

これまでの疲れも忘れ、思わぬ光景に興奮してシャッターを切りましたが、満足できる写真が撮れているか、自信がありません。なかには、全然撮れなかったという参加者もいました。 

 

(天祖神社境内のこいのぼり)
(天祖神社境内のこいのぼり)

武者行列が終わった後の境内を後にして、最後に立ち寄ったのは天祖神社です。境内に、大きなこいのぼりが掛けられていました。

この風物詩に皆さん喜んで、しきりにシャッターを切っていました。

 

また、亀戸の商店街ではこいのぼり祭がおこなわれていて、撮影会の前や後で撮っている参加者がいました。

  

今回は、広重の「名所江戸百景」以外のこの時期でしか見られない光景をカメラに収めることができ、いつもと違った楽しい撮影会でした。

天気は25℃を超える夏日でしたが、風があったので暑さを感じることはなく、絶好の撮影日和でした。

 

 

この日撮った作品は、5月19日(日)14時から森下文化センターで開かれる、「講評と講座」で鷹野先生から講評とアドバイス、さらに次回の撮影会の講義をしていただきます。

今回は、コースで撮った写真以外に、勝矢祭やこいのぼり祭などを撮った作品などが出そろうのではないかと楽しみです。

 

「写真サークル江戸東京散歩」や歌川広重の「名所江戸百景」などに興味をお持ちの方、見学は無料ですのでご遠慮なくご参加ください。

見学のご希望、また、お問い合わせなどは、お気軽に「お問い合わせ」をご利用ください。

 お待ちしています。