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12月の「高輪」撮影会を終える!

  (高輪大木戸跡で説明する鷹野先生と受講生)
  (高輪大木戸跡で説明する鷹野先生と受講生)

1210日(日)、「高輪」コースの撮影会が開催されました。

  

今回は、集合場所の都営地下鉄泉岳寺駅から高輪大木戸跡、泉岳寺、古川を経て善福寺までのコース上にある、「高輪うしまち」「広尾ふる川」の2か所を「名所江戸百景」に描いた場所とその周辺を訪ねます。 

  「名所江戸百景」に描かれていませんが、1214日の義士祭(赤穂浪士討ち入り)直前のため、泉岳寺などの赤穂浪士関連の場所が目玉となりました。

 

まず「高輪大木戸跡」に向かいました。

高輪大木戸跡は、江戸の南の入り口として旧東海道の両側に石垣を築き、夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていたそうです。現在は1か所が残っています。

 

この前で、鷹野先生から「高輪うしまち」に描かれている品川沖とJR沿線の景色の移り変わりや遺跡の出土について説明がありました。

(願成寺の牛供養塔)      
(願成寺の牛供養塔)      

  

この後、改良工事おこなわれている「高輪橋架道橋」を見学して、牛供養塔のある願生寺に向かいました。

広重の絵に描かれている牛車の車輪は、牛町にちなんだ牛車の車輪を描いています。

牛供養塔は、江戸の町の造営などに力を尽くした牛車や荷役などの牛を供養するために建てられ、幾度か改修して今に至っているとのことです。

 

次に、泉岳寺交差点のビルの一角にある車町稲荷神社へ立ち寄り泉岳寺に向かいました。

  

       (泉岳寺の赤穂浪士墓地)
       (泉岳寺の赤穂浪士墓地)

義士祭の4日前だがさすがに、いつもより参拝客は多くみられました。目を引いたのは、外国人が線香を添えて手を合わせていたことです。

 

赤穂義士墓地に行くと、墓標前は線香の山ができて一面は線香の煙が立ち昇っていました。

ここで、30分の撮影タイムが設けられ、それぞれ線香を手向けながら参拝し、併せて写真撮影をしていました。

 

門前のお店に切腹もなかという格好のお土産がありました。

(大石良雄外十六人忠烈の跡)       
(大石良雄外十六人忠烈の跡)       

泉岳寺の門前から狭い路地を通り、「大石良雄外十六人忠烈の跡」へ向かいました。

途中に中央義士会のメンバーが法被を着て道案内をしてくれました。

 

通常は、門が閉ざされていますが、この日は特別に開けられていて、中で大石内蔵助の切腹した場所などを義士会の人が解説をしてくれました。

  

この場所からさらに北側に、“旧細川邸のシイ”がある。旧細川邸とは肥後熊本藩細川家の下屋敷で、大石内蔵助らが切腹を命ぜられたところ。忠烈の跡からシイの木までその広さに、改めてびっくりしました。

      (四之橋に集まった受講生たち)
      (四之橋に集まった受講生たち)

ここで、赤穂義士に関連を終え、2枚目の絵「広尾ふる川」の場所に向かいました。

 

現在の古川の真上に、首都高速2号線が走っており、川全体は薄暗く広重の絵とは大きくかけ離れていました。

絵に描かれている橋は、現在の「四之橋」。

 

この橋の上で、鷹野先生から広重の絵の説明を聞きました。

 

それから、薬園坂、仙台坂を経て最後の目的地「善福寺」を目指しました。

着いたときは、すでに解散予定時刻になっていました。

(善福寺の正門と逆さイチョウ)      
(善福寺の正門と逆さイチョウ)      

 善福寺は「最初のアメリカ公使宿館跡」、「逆さイチョウ(国指定天然記念物 善福寺のイチョウ)」があります。また、越路吹雪の碑もありました。

イチョウの葉がきれいな黄色に染まって見事でした。

時間を少々オーバーしましたが、境内でしばらく過ごした後、解散しました。

 

今日は、12月としては暖かい一日で、途中で上着を脱ぐ人もいました。

皆さん事故もケガもなく無事な顔をそろえて帰路に着きました。

 

  

1224日(日)14時から「講評と講座」が森下文化センターで開催されます。

「講評」では、今回撮影した作品について、鷹野先生から講評とアドバイスをしていただきます。

「講義」では、次回(17日)の撮影会で訪ねる「中川口~逆井のわたし」について、コースの説明や見所などの解説があります。

 

「写真サークル江戸東京散歩」、また、歌川広重の「名所江戸百景」などに興味をお持ちの方、見学されてみませんか。見学は無料ですのでご遠慮なくご参加をください。

見学のご希望、また、問い合わせなどは、お気軽に「お問い合わせ」をご利用ください。